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ジェフ・エメリック(Geoff Emerick、Geoffrey Emerick、1946年 - )は、イギリスの プロデューサー および エンジニア。 彼のキャリアで最もよく知られているものとして、ビートルズのアルバム『リボルバー』『サージェント・ペパーズ』『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』『アビイ・ロード』とポール・マッカートニー & ウイングスのアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』がある。 ==来歴== ===ビートルズ・セッション=== ジェフ・エメリックが最初に務めたレコーディング・スタジオはEMI ロンドン・スタジオ (現:アビー・ロード・スタジオ) で、15歳の時にアシスタント・エンジニアとして入る事になった。そしてビートルズの担当エンジニアだったノーマン・スミス ( ''Norman Smith'' ) のアシスタント業務で、ビートルズのレコーディング・セッションに参加していた。彼が初めてアシスタントとして参加したビートルズのセッションは、最終メンバーがピート・ベストからリンゴ・スターへとドラマーが決定した1962年頃で、最初のシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」の時期になる。そして初期の数々のビートルズ・セッションでアシスタント業務を続け、EMIレーベル内の他のセッションも時々手伝うようになり、ジュディ・ガーランド ( ''Judy Garland'' ) のセッションや、EMI側からの要請で、ホリーズ ( ''The Hollies'' ) のテスト・レコーディングなどへも参加するようになった。 アシスタント・エンジニアからチーフ・エンジニアへの昇格は、1966年にイギリス国内でNo.1 ヒットとなった マンフレッド・マン ( ''Manfred Mann'' ) の「プリティ・フラミンゴ」( ''Pretty Flamingo'' ) のエンジニアリングをやった事が切っ掛けとなっている。チーフ・エンジニアだったノーマン・スミスが新人アーティストのプロデュース業も行うようになりビートルズだけに専念できなくなってきたため、ジョージ・マーティンからの希望で、ノーマン・スミスの後釜としてジェフ・エメリックが抜擢され参加した1966年のアルバム『リヴォルバー』のレコーディング・セッションが初めてチーフ・エンジニアとしてビートルズのセッションに参加したアルバムになっている。そしてこのアルバムに収録されている「トゥモロー・ネバー・ノウズ」がジェフ・エメリックにとってビートルズの曲で最初にエンジニアリングした曲になっていて、ジョン・レノンからの要望で「ダライ・ラマがチベットの山頂から説法しているような歌の聴こえ方にして欲しい」という抽象的な表現を実践させるために、この曲中で使用されたレスリー・スピーカーを駆使したコーラス効果など、様々なエフェクトや録音方法のアイデアなどをビートルズのメンバーとジョージ・マーティンから気に入られ、この時に開発した手法が後の中期以降作品におけるサウンド作りの出発点となっている。「トゥモロー・ネバー・ノウズ」では曲の後半に掛けてボーカル以外のバッキング・トラックもレスリー・スピーカーへ送り、ワン・コードでペダル・ノートに近いコード進行の曲に対して斬新なアプローチでエンジニアリングするなど、当時のポピュラー音楽の手法に様々なアイデアも持ち込んだ。 他にも『リボルバー』では「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」におけるオン・マイキング 〔マイクロフォンを楽器の発音源に対して非常に近づけた状態で集音するマイキングの事。当時はマイクロフォンに対して、ダイアフラム(音源からの音響的空気波動を音声信号としての電気信号に変換するための丸い形状の非常に薄い金属製プレートの受音部分)へのダメージを危惧するため、EMI ロンドン・スタジオのテクニカル・エンジニア側からは「決して楽器の音源に対して近づけすぎないように!」と禁止令が出されていた。〕 で収録されたブラス・セクションのサウンドや、同様にドラムスのバス・ドラムに対して立てられるマイクロフォンもオン・マイクで設置し「タックスマン」で聴けるようなアタック成分を強調した音作りをするなど、それまでのコンサバ的なエンジニアリング手法をどんどん変革していった。 その後はアルバム『サージェント・ペパーズ』のレコーディング・セッションでも様々なアイデアを元にした手法でエンジニアリングを行い、当時は4トラック 〔トラックとは個別に録音再生できる記録チャンネルの事。〕 のテープ・レコーダーしか無かったため、スタジオのケン・タウンゼントとEMIの技術陣の協力の下で、複数台のテープ・レコーダーを同期運転させる技術的方法が具象化されたなかで、バッキング・トラック以外のオーケストラやその他の楽器をもう1台のテープ・レコーダーと同期運転させながら多重録音したり、その同期運転の技術を応用し「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」で聴く事が出来る「テープ・フランジング」や「ADT」(Artificial Double Tracking) などの方法を使って制作作業に参加していた。『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』の頃になるとEMI ロンドン・スタジオ内の第1スタジオ、第2スタジオ、第3スタジオと同時並行作業でのレコーディングが行われたため、アルバム全ての曲に参加する事はなくなったが、アルバム『アビー・ロード』では同僚のフィル・マクドナルド ( Phil McDonald ) と共にジョージ・マーティンのもと、レコーディング・セッションに参加した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェフ・エメリック」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Geoff Emerick 」があります。 スポンサード リンク
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